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障がい者自立支援法反対運動が示した課題と展望     かけはし2006.0101号

重度障がい者の自立生活を破壊する介護保険の統合


歴史的な運動の高揚と限界

 障がい者自立支援法(以下支援法と略す)は自立支援とは名ばかりの、実態は自立阻害法である。この悪法に反対する障がい者の闘いは約八カ月に及び、大きな高揚をかちとった。
 闘いの山場であった七月五日の全国大行動には一万一千人が結集し、国会にむけ請願デモを繰り広げた。これは日本の障がい者運動史上かつてない規模の結集であり、まさに歴史的な運動となった。
 ここに至るには、約二年もの前哨戦があった。二〇〇三年一月、厚労省は突然「障がい者へのヘルパー派遣に上限を設ける」ことを発表した。これに抗議する障がい者は厚労省の一階ロビーを占拠し、大臣室前に座り込み闘争を展開した。この闘いにより、提案は白紙撤回された。
 さらに二〇〇四年一年間は、支援費(障がい者福祉制度)と介護保険の統合問題が起き、全国的に学習会、デモ、ロビー活動(議員への働きかけ)が繰り広げられ、ひとまず統合は見送られた。これは運動の成果であると同時に、二十歳から介護保険料を払うようになると、企業の負担が増えることに、財界が激しく抵抗したことも大きかった。
 しかし、このような未曾有の運動の高揚をもってしても支援法は十月に成立してしまった。衆議院選の圧勝をもって「構造改革に国民の支持が得られた」とする小泉政権の強気の姿勢がそこにはあった。
 構造改革で国家予算の十倍に達する借金を作り出し、リストラと増税、年金制度改悪と相次ぐ医療の自己負担強化と、労働者人民に犠牲を強要してきた小泉政権に、なおも国民は「日本を変えてくれる」という幻想を持ち続けるのだろうか? 大衆操作の詐欺師的テクニックだけでそれは説明できるのであろうか? われわれの議論を一層深めていかなければならないだろう。

支援法の隠されたねらい


 〇三年四月から始まった支援費制度(それは06年4月から支援法に取って代わられるが)は、初年度から百五十六億円の予算不足が発生した。厚労省は省内予算をかき集めてこの事態を収拾したが、翌年度もまた同じ事態となった。
 このことについて、当初は「厚労省は障がい者の潜在的ニーズを把握していなかったから、このようなことが起きたのだ」との見方が障がい者運動の側では支配的であった。
 しかし、〇四年あたりから「支援費制度は財政的に破綻した」「だから介護保険に統合しなければいけない」と厚労省官僚があちこちでアジリ始め、見方は一変した。
 つまり大きな目的のために、政府・厚労省官僚の中枢部分により初めから仕組まれた戦略であったのではないか、ということだ。
 支援費の利用者が制度発足直後は激増することは、介護保険の経験から予想がつくことであり、それに基づいて予算を編成すれば問題は起きなかった。百億円程度の予算は八十兆の国家予算の中では微調整の範囲にすぎない。いわば意図的に「予算が追いつかない」状況を作り出していったのである。
 それはなぜか? より大きな目的とは何か? すべては「介護保険料を二十歳から徴収する」という介護保険の改革に照準を合わせて仕組まれてきたのだ。介護保険はドイツのそれをモデルに制度設計されており、ドイツでは高齢者・障がい者をサービスの対象にしており、二十歳から介護保険料を徴収している。
 日本も同じような形で導入したかったのだが、これに財界が猛然と反発した。労働者の介護保険料は労使折半であり、企業にとっては新しく負担が増えることになることを嫌悪したのである。不況の真っ只中でもあり「景気浮揚の足かせになりかねない」という財界の主張にも配慮し、四十歳以上からの介護保険料の徴収と、サービス利用は六十五歳以上(15の特定疾病は40歳以上)という中途半端な形で介護保険はスタートした。
 しかし政府・厚労省は断念したわけではない。一端は譲歩し、迂回しながら目的を達するため、策略をめぐらしていたのである。

高齢者・障がい者の共闘を


 七月五日の大集会は、主要な障がい者団体八団体の共闘により実現した。しかしそのうちの六団体が国会審議が山場にさしかかる九月に「自己負担の軽減策を講じた上で支援法の早期成立を」との声明を発表し、これが法案成立の動きを加速することになっていった。
 六団体の中心となった育成会(全日本手をつなぐ育成会連合会)は、知的障がい者の親の会であり、以前から介護保険への統合に賛意を表明していたところだ。ただし、育成会の下部組織には、今回の中央の方針に異議を唱えるところが続出している。
 今回法案の早期成立に転じた六団体が大きな問題としていたのが、「利用したサービスの一割を自己負担する」点である。これに対し厚労省は数種類の減免措置を提案し、六団体側はこれを「一歩前進である」と受け入れたのである。しかし減免措置の中身は、大方三年間の激変緩和措置であり、負担軽減に値しないものばかりだ。
 この結果、支援法反対を貫いたのは、DPI(障がい者インターナショナル日本会議)やJIL(全国自立生活センター協議会)といった、重度障がい者を運動の中心としてきた団体であり、自己負担の問題も大きいが、それ以上に支援法―介助に関する部分の介護保険への統合(09年統合が目論まれている)によって、重度障がい者の介助保障がバッサリ切り捨てられることへの怒りであった。
 介護保険では、要介護5という保障の上限が設定されている。この有限保障という点が社会保険の根本的問題なのだ。憲法二五条では「国は国民の生存権を保障する義務がある」としているが、介護保険によって「国はここまで」「あとは知らん」と言えることとなってしまった。二十四時間介助が必要な重度障がい者にとって、要介護5では四〜五時間のヘルパーの派遣しか受けられない。これではとうてい生活などできない。生命の危機すらありうる。
 介護保険では、要介護5の方は基本的に施設生活を前提にしている。重度障がい者が自力で切り開いてきた自立生活を根底から破壊する行為に「自分たちをまた施設に送ろうとしている!」と指弾するのは、まったく正当である。
 先の六団体は親の会や、中軽度の障がい者の団体であり、平均的な介助ニーズは要介護1程度であるといわれている。つまり介護保険に統合されても「大きな問題は起きない」と考えているのである。ここに根本的な立場の違いがある。
 重度障がい者の声に背を向け、支援法成立促進に転じた六団体の行為は批判されるべきである。しかし、障がい者団体ですらこのような事態になることに、日本における人民連帯の弱さ、そして社会保障の切り捨てに抵抗運動が広がらないことの縮図を見る思いがする。
 今後社会保障の切り捨て攻撃は一層激化し、社会保障は「人間らしく生きる権利の保障」から「生存のための最低限のレベル」まで際限なく落ちていくだろう。
 新自由主義者は、生産に関われない者=資本家の役に立たない者への社会保障を、極限まできり縮めようという意思を隠そうとしない。当面、矢面に立たされるのは、重度障がい者や重症の患者たちであるが、この人たちの立ち上がりを支援し、「どんなに重い障がいがあっても人間らしく生きられる社会」を対置して闘おう。
 高齢化社会の到来とは、高齢者の投票行為が政権を吹き飛ばす可能性を秘めた時代とも言える。介護保険にかわる公的な介助保障を要求する高齢者・障がい者の共闘を!
(赤井岳夫)


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