選挙後多数派が言語強制法案を採択
資本家階級の共通の新自由主義的政策に抗して団結を
クリス・デン・ホンド |
解説
フランス語圏とオラン
ダ語圏の対立が先鋭化
六月に行われたベルギーの国政選挙では、ベルギーの人口の約六〇%を占めるオランダ語圏(フラマン地域、あるいはフランダース)のキリスト教民主党が第一党となった。しかしフランス語圏地域の政党との対立によって新しい政府の組閣が六カ月近くにわたってできないという異常事態が発生している。
さらに十一月七日には、連邦議会の内政委員会(十七人)が、首都ブリュッセル周辺のハル・ビルボード地区(人口五十八万人、少数派のフランス語住民が二割)で従来は認められていた裁判などの公文書でのフランス語使用の権利などを剥奪し、オランダ語を強制する案を、フランス語系議員(六人)全員の退席のまま強行採決したことにより、対立はさらに深まり、組閣は困難をきわめている。
こうした中で、一部のマスコミでは「ベルギー分裂・国家消滅の危機」すら報じられている。世論調査でもフランス語住民の四三%が「ベルギーは分裂する」と回答している、という。この建国(一八三〇年)以来の言語対立の中で、言語の対立にかかわらず共通した資本家階級の新自由主義政策に抗して、社会的諸権利を防衛する、言語的区分を超えた労働者・市民の運動も続けられている。
(本紙編集部)
連邦国家成立の歴史
フラマン系民族主義者が、ベルギーのフランス語圏(ワロン)とオランダ語圏(フラマン)の分裂を強調する攻勢をかけている。この考え方は社会的権利にとって危険を帯びている。
最近のベルギー選挙の最大の勝者であるイブ・ルテルム(フラマン系のキリスト教民主党指導者)が、七月二十一日のベルギー独立記念日にベルギー国歌のかわりに「ラマルセイエーズ」を歌ったのは、物事を「正しく」理解していたということだろう。そしてそれは単なるいつもの「ベルギー・ジョーク」ではなかった。彼の意識的な「エラー」は、フラマン系政治エリートの民族主義的・地域主義的意向をよく表現したものである。
新しいベルギー政府を構成する難しさは、二つの民族を持つ連邦国家システムがフラマン系への文化的・言語的抑圧を解決したが、ブリュッセル周辺の「フラマン系」自治体に住むフランス語住民に対する新しい不公正を作りだしてしまったことを立証している。同時に、社会・経済的問題に関して言えば、この連邦システムは地域主義的、さらには分離主義的傾向すら促進している。一部の人びとは、社会保障制度の分離すら望んでいる。
ベルギーにおける民族問題は、昨日今日に始まったわけではない。一八三〇年から一九七〇年まで、ベルギーは、何よりもフランス語国家として厳密に単一国家であった。フラマン系ブルジョアジーでさえフランス語をしゃべっていた。第一次世界大戦以後、前線でフランス語による命令を受けたフラマン系兵士が帰ってきたことで、フラマン系の人びとの被抑圧意識が激しく高まった。五回にわたる改革(一九七〇年、一九八〇年、一九八八年、一九九三年、二〇〇一年)の後、ベルギーは公式に三つのコミュニティー(フラマン、フランス語圏、ドイツ語圏)と三つの地域(フラマン、ワロン、ブリュッセル)を持つ連邦国家となった。
すたれた旧来の地域区分
フラマン系の闘争はすべて文化的不満に発している。フラマン系の人びとは、フランス語を話す支配階級が引き起こす差別に対して闘ってきた。彼らは別の民族に対して闘ったわけではなかった。一九三〇年にゲントで最初のオランダ語大学が設立されるまで、中学校と大学では、教科はフランス語だけで教えられていた。一九五〇年代まで、経済発展と産業の成長は鉱山と工業地帯があるワロン地方で行われていた。フラマン系の移民の流れが、ワロン地方とフランスに労働力を供給した。
しかし鉱山業の重要性が減退するとともに、鉄鋼産業は、植民地からの天然資源が到着するフランダース地方に位置する港湾へと移転した。したがって、フランス語を話すブルジョアジーと並んで自立的なフラマン系ブルジョアジーが発展し、統一ベルギー国家の中で彼らの政治的比重が増大した。今日、フラマン系ブルジョアジーは完全な分離主義者ではないが、地域主義的であることは確かである。彼らは、社会・経済問題の再地域化が、社会的諸権利の解体という自らの自由主義政策の追求に資すると考えている。
ベルギー国家の数多くの改革過程の中で、フラマン系地域の中で孤立した首都ブリュッセルの問題は最も解決が困難である。ベルギーが独立した一八三〇年には、ブリュッセルはフラマン系の都市だった。フランス語を話す住民は一五%に過ぎなかった。この比率は徐々に逆転していった。一八八〇年には言語的な均衡に到達し、現在では住民の八五%以上がフランス語を話している。しかし一九八九年以来、このベルギーの首都は、フラマン系単一言語地域のフランダース地方に包囲された、完全な二言語地域となった。二言語地域のブリッュセルと、フランス語単一言語のワロン地域の間には、領域的な連続性は存在していない。
言語的境界の区分が行われた一九六三年には、ブリュッセル首都圏地域(1)は、十九の自治体(コミューン)に限られていた。しかしこの区分は、一九四七年(!)の人口調査を引き継いだ行政的境界に基づいている。一九四七年から一九六三年の間に、ブリュッセル内とその周辺におけるフランス語住民の数は大きく増加した。この人口統計的傾向は、今日に至るまで確認されてきた。
したがって一九六三年の妥協は、ブリュッセルは余りにも小さな地域に止めるものであり、周辺のフラマン系地域に住む多数のフランス語住民にはどのような言語的権利も与えられなかった。一九九三年に公式なものとなった連邦制へと向かうこの制度的変化の各段階においてこの「言語的境界」が確認され、それは多くのフラマン系政治指導者にとって疑似的国境となった。それ以来、二つの合言葉が互いに対立しあうものとなった。フラマン系民族主義者にとっての「フランダーレン・フラームス」(「フラマン人のフランダース」)と、フランス語住民とフラマン系民主派(2)にとっての「二言語地域ブリッュセルの拡大」である。
言語的境界線の不正
地域的連邦主義は、政府の行政的権威の下に地域を区分することを意味する。これは、それぞれの国家が自らの領域を持つことを意味する伝統的概念である。しかし住民、民族の間に国境線を引くことは、さまざまな人びとが混住する地域ではますます問題が大きくなってくる。きわめて短期間で新しいマイノリティーが生じるからである。したがってブリュッセルのケースでは、共に生活している二つのコミュニティーのための文化的・言語的諸制度を作り上げることを可能にする連邦主義の適用が望ましい。
これは二言語化されてきたブリュッセルでなされてきたことである。フラマン系住民とフランス語住民は、オランダ語かフランス語かの学校を子どものために選択することができ、自らの文化的センターを持ち、彼らが政府、郵便局、失業オフィスから受け取る書類の言語を選択することができるのである。
しかしこの言語的連邦制は、ブリュッセルのような混住地域においてのみ適用される。アントワープ(フランダース地域に位置する)では、フランス語住民は子どもたちをフランス語学校に送ることはできず、シャルルロワ(ワロン地域に位置する)に住むフラマン系の人びとは、郵便局や市役所に行った時にはフランス語をしゃべるのである。
ワロンとフランダースは単一言語地域である。それぞれの言語的境界地帯に住むマイノリティーのために言語的便宜を提供する施設が設立された。ワロン単一言語地域においてはフラマン語やドイツ語を話すマイノリティーのために、ドイツ語地域(第一次大戦後にベルギーに併合された)ではフランス語を話すマイノリティーのために、そしてフラマン地域においてはフランス語を話すマイノリティーのためにである。このシステムは、ブリュッセル地域周辺の一定の自治体を除けば、正しく機能している。
ブリッュセル周辺のフランダースに位置する六自治体――ウェンメル、ウェゼムベーク・オッペム、クラインヘム、ドロゲンボス、リンケベーク、ローデ・セント・ジェネシス――では、五〇%以上がフランス語住民である。ブリュッセル周辺の他の「フラマン」系自治体にはフランス語を話すマイノリティー(住民の一〇%から四〇%)がおり、彼らはフランス語の文化的・言語的施設を設立することを禁じられている。これは地域的言語とマイノリティーを擁護する欧州協議会の欧州条約に従うものではない。ベルギーは確かに一九九五年にこの条約に調印したが批准していない(フランスは調印すらしなかった)。
このナンセンスな事態は、一九四七年の人口統計を固定した言語的境界線の結果である。人口統計的な流れを考慮すれば、この言語的境界を維持することは困難であり、さらにブリッュセルの二言語地域で一五%のフラマン系が八五%のフランス語住民と同一の便宜を持つ中で、こうしたフラマン系自治体に住む多くのフランス語を話すマイノリティーの文化的権利を拒否することは困難である。したがって、こうした自治体を二言語のブリュッセル地域に含めることが論理的に正当なのである。
しかしフラマン系民族主義者は、こうした要求に耳をふさいでいるだけではない。彼らは、言語的便益を供与する施設の廃止さえ望んでいる。一五%以上、あるいは三〇%、さらには五〇%以上ものフランス語を話すマイノリティーがいたとしても、フランダースは「フラマン的」でなければならないと考えている人びとは、八五%以上のフランス語住民が住むブリュッセルは、なぜ「フランス語圏」であるべきではないのかを説明しなければならない。
社会諸権利の保障
ベルギー国家内のフラマン系住民の文化的・言語的抑圧は、連邦国家をもたらした一連の国家改革によって解決された。しかしこのシステムは、エネルギー、都市計画、環境、雇用、経済、住宅、農業、漁業、課税、公共事業、運輸などの社会・経済的諸問題が自治体あるいは地域的基盤において処理される連邦制を作りだした。こうした諸問題の一部は完全に地域化されたが、その他は部分的にしか地域化されておらず、フラマン系右派はその完全な地域分権化を要求している。このようにして、ワロン地域、ブリュッセル、フラマン系の労働者はますます分断され、フラマン系であろうとブリュッセルであろうと、ワロンであろうとベルギー国家であろうと、ブルジョアジーと政府の同じ自由主義政策と衝突する中で、狭い地域的枠組みの中で自らの社会的権利を防衛することを余儀なくされている。
このような事態の進展に対して、フラマン、ワロン、そしてブリュッセルの労働組合活動家、アーティスト、ジャーナリスト、さまざまな市民社会諸組織(アソシエーション)の人びと、学者たちは「権利保証の連帯」と題する請願運動を出発させた。彼らは「民族、地域、言語、国々の間にそそり立つ新たな壁」を望まない。すでに十万近くの署名を集めたこの署名は「われわれはどの言葉を話そうとも、同一労働に対する適切な賃金を求める。われわれはどこに住もうとも、失業した人びとが同じ支援を受ける権利を求める。われわれはどの地域に生まれようとも、すべての子どもたちが同じチャンスを持つことを求める。われわれは高齢者が、ブリュッセル、フランダース、ワロンのどこに住もうとも、ふさわしい年金を受ける権利を求める。つまりわれわれは分裂や分離ではなく連帯を求める」と書かれている。この闘いは、いまだ敗北していない。
(クリス・デン・ホンドは社会主義労働者党〔第四インターナショナル・ベルギー支部〕のメンバー。彼はクルド語衛星テレビ局ROJ・TVのジャーナリストである。)
注1 ブリュッセル地域はブリュッセル市を構成する十九のコミューン(自治体)によって構成されている。しかし、フランス語を話す少数派ないし多数派が住む、フランダースに位置するブリュッセル周辺の自治体はブリュッセル地域から除外されている。
注2 「フラマン系民主派」という用語は、ここではブリュッセル周辺に住むフランス語住民に文化的・言語的権利を与えることを支持し、「フラマン系」自治体を二言語地域のブリッュセルに組み込むことを支持する人びとのことを意味する。したがってこの用語は、ブリュッセル周辺の六自治体で多数派になったフランス語住民に存在するわずかな言語上の権利をさらに制限し、あるいは廃止することさえ望んでいる、いわゆる「民主的」フラマン系諸政党にはあてはまらない。「民族主義」という言葉は、被抑圧民族に関してのみ進歩的である。
(「インターナショナルビューポイント」07年10月号)
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