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    かけはし2013.年4月8日号

革マル派の中国共産党18回大会批判について


小スターリン主義者による「ネオ・スターリン主義者」批判

早野 一


世界情勢を規定する大きな要因となつた中国の動向を分析することは唯一政権党である中国共産党の分析ぬきにありえない。民主主義を欠落したこの国家=党への批判と、中国労働者民衆との連帯はどうあるべきか。革マル派の中国共産党大会批判は、官僚的統制の極致たる「整風運動」、「文化大革命」への根本的批判をすりぬけている。革マル派の「小スターリン主義」ぶりを批判する。(本紙編集部)

はじめに

 革マル派の機関紙「解放」の二〇一三年新年号(二二五〇号)では、水木章子署名による「中国勤労人民の決起に脅える断末魔のネオ・スターリン主義党」という二面分をつかった中国共産党一八回大会批判がなされている。
 論文の前半は、このところブルジョア新聞でもよく見かける派閥闘争についての不確定な憶測に基づいた論評や拡大する格差における労働者や農民の闘争に触れてはいるが目新しい内容はほとんどなく、大会後まもなく発行された「解放」(二〇一二年一二月三日号、二二四六号)の第一面から二面にかけて掲載されたものとほとんど大差はないことから、論評するまでもないと思ったのだが、最後の「V 内側からすすむ思想的・組織的腐蝕」の箇所で、薄熙来事件から見た党と党員の腐敗についての論評があまりにもひどすぎることから、カメムシを噛み潰すような苦痛を伴う作業だが、以下に問題の箇所を抜粋し、批判的コメントをつけた。

共産党員と
ただの人


 「問題は薄熙来にとどまらない。党員の、とりわけ幹部党員のさまざまな腐敗はすでに極限にまで達している。それゆえ、胡錦濤は『容赦ない厳罰を』と叫ぶ。党も党員も『憲法と法律を超える特権を持ってはならない』と言うのだ。だが、汚職に走ったりした党員の問題を問うときに『法のもとでの万人の平等』をもちだし法律を基準にして罰するというのは、共産党員を“国民一般”に、“ただの人”に引きおろすものではないのか」。

 「共産党員を“国民一般”に、“ただの人”に引きおろす」ことの何がいけないのだろうか? ただでさえ党幹部や党員は“ただの人”より権力をもっているのだから、それを引きおろすのは賞賛されこそすれ批判されるものではない。批判すべきは「引きおろす」ことが指導部の権力闘争の一環として恣意的に行われることであり、その過程の非公開性、不徹底性、超法規性などである。

法律に問われぬ
「腐敗の構造」


 「いやしくも『前衛党』を名乗るのであるならば、次のことが問われなければならないはずだ。党員の腐敗は、彼の共産主義者としての、共産党員としての思想性・組織性・倫理性にかかわる問題なのである。労働者階級の前衛としてのみずからの使命を自覚した党員であればこそ、その“腐敗”は法律のレベルにおいてではなく、共産主義者としてより厳しく問われるのである」。

 地元の権力者や高級官僚の腐敗がほとんど「法律のレベルに問われない」ことこそが問題なのである。中国共産党の幹部業務は、現場レベルからかなり上の階層にいたるまで、上級機関の設定した目標をどれだけ達成できたかなどが細かく点数化されており、それによって上級へ抜擢されるかどうかを厳しく選別される。一方でトップである政治局や政治局常務委員の選出は依然として不透明である。ノルマ達成、人事考課テスト、人事評価制度などによって末端細胞から上層にいたるまで、党幹部は厳しい競争メカニズムに縛られている。そして上級や権力者への絶対服従こそが、組織内で一つでも上のポストに這い上がるための前提となっている。つまり、万人に平等な「法律のレベル」や、批判の自由を含む党内民主主義に依拠するのではなく、ノルマ達成や考課テスト、そして上級への絶対服従という「共産党員としての思想性・組織性・倫理性」を通じて八〇〇〇万余の党員をコントロールしていることこそが、中国共産党における腐敗と人民との乖離の根幹にあるのである。

党機構と国家
機構の一体化


 「党員の腐敗はたんにその党員一人の問題ではない。同時に党組織そのものに欠陥や限界があるという問題として反省しなければならないのである。党員の腐敗問題は、当該の党員を除名して国家の司法機関に送る、ということによっては絶対に解決されえないし、そのようなかたちで解決してはならない。だがこのことが胡錦濤には分からないのだ」。

 「当該の党員を除名して国家の司法機関に送る」という「そのようなかたち」で解決されないこと、つまり国家の司法機関の上に君臨する党とその支配者の存在こそが、腐敗問題を生み出す原因の一つであるということが、この筆者には分からないのだ。中国共産党組織は国家機構とほぼ一体化した組織になっていることからも、党内規律の強化だけではなく、国家権力を束縛する権利を保障された人民によって強力に統制されなければならない。当然そこには民主的な過程を経て作られる憲法や各種法令や、司法警察や裁判機関に対する民主的統制も含まれなければならない。

「整風運動」と
文化大革命


 「かの『プロレタリア文化大革命』は中国を混乱と荒廃にたたきこんだ悪夢だった、とみなして唾棄したのがケ小平であった。その後継者である今日の中国共産党指導部もそうである。……彼らは、この『文化大革命』もろとも、文化革命あるいは『整風運動』というかたちで党員の思想改造を不断におしすすめ、これをつうじて党と党員の組織性・規律性・思想性をそれなりに強化してゆく、という中国共産党に独自の党づくりの作風そのものを投げ捨ててしまったのである。こうして党員の思想改造というアプローチを抹殺しさっていること、中国共産党指導部が『党員の腐敗問題』をいくら声高に叫びつづけても決して解決できないであろう最深の根拠はここにある」。

 スターリンの子飼いであった王明に対抗するために自らもスターリニズムで理論武装した毛沢東が延安で発明した「整風運動」こそが、腐敗を根絶する「最深の根拠」だとでも言いたいのであろうか? 延安における党幹部の贅沢な生活を告発し、整風委員の秘密直接選挙や壁新聞における匿名投稿を主張したことなどが「プチブル風」と批判され、最後には「反革命トロツキー派分子スパイ」として除名され斬首された王実味に対する毛沢東の攻撃から始まった「整風運動」こそが、腐敗を根絶する最深の根拠だとでも言いたいのだろうか?
 「プロレタリア文化大革命」は、延安での「整風運動」(一九四二)で党内の民主的批判を封じ込めた後、何年にもわたって延期されて一九四五年四月にやっと開催された第七回党大会で「一切の活動の指針とする」として「毛沢東思想」が党内権力闘争の勝利の証として党規約に盛り込まれ、一九四九年一〇月の新中国建国後に三反五反運動(一九五一)、百花斉放・百家争鳴(一九五六)、反右派闘争(一九五七)という「整風運動」を経た後、毛沢東の指揮のもとで一九五八年から推進された大躍進政策が悲惨な大失敗に終わり、危機に瀕した権威を保持するために毛沢東自身によって発動された最大級の「整風運動」であったといえる。つまり「整風運動」と「毛沢東思想」と「プロレタリア文化大革命」は同じ糸でつながった一連の事柄なのである。そして、「整風運動」を起点として作られた唯一絶対の党と指導者に絶対服従するという作風こそが、新中国における政治革命を敗北させ、資本主義の復活を許し、そして空前の腐敗を生み出した「最深の根拠」のひとつなのである。

負の遺産――
民主主義欠如


 「ケ小平とその弟子どもは、毛沢東の『階級闘争要』論を単純に破棄しただけであって、なんら止揚したわけではない。毛沢東式の“階級闘争”主義すなわち生産関係変革主義を単純に否定し、その裏返しとしてのプラグマティックな生産力主義を全面開花させただけである。文化大革命を導いた毛沢東の『過渡期=社会主義の階級闘争』論が、マルクス=レーニン主義の社会主義論を破壊しつくした大錯乱でしかないことにも無自覚である。いや、ケ小平とその子分たちも、毛沢東と同じ理論的混乱――マルクスの社会主義の全否定――に立っている。だからこそ、『社会主義の初級段階』論などを生みだすことにもなったのである。『文化大革命』を導いた毛沢東理論を、胡錦濤らは『誤り』として拒絶しているだけであって、批判し克服しているわけではない。いや、批判できないのだ。薄熙来の『毛沢東賛歌』を嫌悪しても、内容的にはただのひと言も批判できなかった」。

 同じように、革マル派は党員の腐敗問題を「共産党員としての思想性・組織性・倫理性にかかわる問題」という、道徳的な問題にのみ限定しただけであり、民主的権利、党内民主主義、労働者民主主義の欠如こそが、スターリニズムを再獲得する過程で作り上げられた「毛沢東思想」を起点とする官僚独裁体制によって現代の中国労働者人民に残された最悪の負の遺産であることを理解できず、そのことについては、ただのひと言も批判できなかった。
 当然である。革マル派も毛沢東と同じようにつねに党内における「整風運動」を通じた組織の絶対化と絶対服従化でしか正当性を維持することができないからである。それは対外的には内ゲバ主義という階級的犯罪につながる問題である。小スターリン主義者がスターリン主義を用いて「ネオ・スターリン主義者」を批判している姿ほど、階級的に醜悪で嫌悪を呼び起こすものはない。

小スターリン主
義者の「こだま」


 「労働者・農民たちは、共産党の名において労働者階級を抑圧支配するこの党そのものとの対決に必ずや歩をすすめてゆくであろう。その武器は『毛沢東思想』ではありえない。毛沢東主義は、『マルクス・レーニン主義の中国における運用と発展』(中国共産党規約)ではなく、スターリン主義の中国における中国的形態でしかないのだ。……われわれ日本の反スターリン主義革命的左翼は、たたかう中国の労働者・農民・人民と連帯し、彼らとともに断固としてたたかう」。

 「整風運動」を起点とする中共のスターリン主義への純化がもたらした官僚支配=労働者民主主義の不在こそが、毛沢東の「プロレタリア文化大革命」をもたらした理由のひとつであり、その労働者民主主義の不在は、文革派を徹底排除したケ小平指導部によって導入された「改革開放」に対する民主的規制の役割を完全には果たすことができず、八九年民主化運動に対する徹底した弾圧は、その後全面開花する資本主義化を押しとどめる可能性を持った労働者の抵抗の芽をあらかじめ摘み取ることになり、結果としてグローバル資本主義の大国と化した中国におけるとめどない腐敗をもたらしたのである。
 この一連のつながりを理解できず、腐敗問題を解決できない「最深の根拠」が「党員の思想改造というアプローチを抹殺しさっていること」にあるなどと主張する小スターリン主義者のひとりよがりはスターリン主義のこだまに過ぎない、と笑ってすますことはできない。「党員の思想改造というアプローチ」を唱える日本の小スターリン主義者による一方的な連帯は迷惑でしかないが、中国における小スターリン主義者のこだまは、グローバル資本主義の大国と化した中国社会のなかで不気味に息を吹き返し、グロテスクに成長する可能性を排除できないからである。それは中国労働者階級にとっての不幸である。

王凡西の「整
風運動」批判


 中国の労働者人民は、官僚支配体制におけるジグザグにも関わらず、民主主義をもとめて闘争してきた。われわれはそれを政治革命にむけた闘いととらえてきた。グローバル資本主義の流れに合流した共産党独裁の中国において、民主主義を実現するたたかいはこれまで以上に重要な意味を持つ。
 「整風運動」の最初の批判対象者であり「反革命トロツキー派スパイ分子」として処刑された王実味(一九〇六―一九四七)は、一九八〇年代に入りその罪状が撤回され、一九九一年に名誉回復を果たした。北京大学時代の同級生であり、トロツキー派として彼と袂を分かった王凡西が、王実味はトロツキー派に加盟した事実はなかったと証言したことが、完全名誉回復につながったと言われている。この証言で王凡西が指摘したことは、党の腐敗の問題の最深の根拠が「党員の思想改造というアプローチを抹殺しさっていること」にあるなどという「毛沢東思想」を髣髴とさせる主張とは好対照を成す。
 王凡西はこう指摘する。
 「レーニンの民主集中制は後のスターリンの官僚集中制と本質的に異なるが、その最も重要な違いは、前者にはまず下から上への選挙があってそれから上から下に対する集中があるのに対し、後者には上部の『指導』と任命があるだけで、大衆には絶対服従の義務のみが課され、指導部を選択し、監督する権限はまったくなかった。ここには集中があるばかりで民主はなかった。……一九四二年の延安では……中共組織はとりわけ特務体制において、すでにその『ボルシェビキ化』の手術をまさに完成させようとしていたのである。王実味のこの民主化闘争は、中共の党制度が徹底したスターリン主義に向かう里程標であった。中共の思想と党制度変遷の歴史においてこれは重要な一頁なのである。人々はこの一頁を知って初めて、中共の全国的な勝利後の一連の『運動』、とりわけ知識分子を標的にした『改造』運動を十分理解できるのである」。

王実味の批判
と「民主の壁」


 王凡西は、王実味の民主主義的な批判的精神と、新中国における民主化運動=政治革命との時空を超えた思想的つながりも指摘している。
 「王実味が一九四二年春に書いたこれら数編の雑文の中から見て取れる思想と感情は、三四年後、すなわち一九七六年四月五日、北京の一〇万の大衆が天安門広場で詩歌によって表した抗議[いわゆる第一次天安門事件を指す]よりも激烈というわけではなかったが、より系統的で深いものであった」。「王実味のこれら数編の小文が当時いかに大騒動を引き起こし、大きな影響を与えたかということを、非常によく私たちに教えてくれる。またこれは毛沢東の有名な『文芸講話』と王実味の思想的反抗との間の密接な関係を具体的に教えてくれる。延安南門外に貼られた壁新聞は形式上も内容上も、三〇数年後の天安門前と西単壁上[いわゆる『民主の壁』]の詩歌、文章と軌を一にし、相呼応しているのだ」。
 王凡西の証言は慶應義塾大学の長堀祐造氏によって翻訳公表されている。訳者による王実味事件の解説もあわせて読まれたい。

資料:王実味と「王実味問題」とを語る(王凡西 著/長堀祐造 訳/慶應義塾大学日吉紀要「中国研究」No.3/2010)
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=32989
追記:その後、偶然入手した黒田寛一の『現代中国の神話』(1970年、こぶし書房)に整風運動に関する次のような一文がある。
 「中国共産党を規定しているところのものは、いうまでもなくスターリニズムであるが、それは特殊性をもっている。帝国主義段階における『半植民地』中国での革命運動、しかも都市プロレタリアートの階級闘争から切断された農村根拠地を中心にした遊撃戦をくりひろげていた『長征』期の中国共産党は、その実体構成における農民的=ルンペン・プロレタリアート的本質のゆえに、たえざる整風運動をつうじて党員の思想改造と人間変革をうながし、党員の組織性・規律性および戦闘性を高め、党風・作風を改善してきた、という独自性をもっている。党建設のためのこのような整風運動は一九四九年革命以後も不断におしすすめられてきたのであるが、ところで、この整風運動は同時に、四九年革命そのもののゆがみ、その『新民主主義革命』としての性格に決定されながら、全民衆的な規模での大衆運動として、しかも種々の形態でくりひろげられてきた。このようなものとして整風運動は、一方では、党の基本路線や国家権力の政治経済諸政策にかんする種々の偏向・歪曲・逸脱、『左』右の日和見主義などを是正するとともに、そうした誤謬をおかした党員を粛清し、そして他方では、このような闘いに非党員大衆を広汎に参加させることによって同時に彼ら民衆を教育する、という二つの機能をもたされ、かつ実践されてきたのである。粛清と教育とのいわゆる『両面運動』として、整風運動はおしすすめられてきたのであり、後者の教育的機能という側面からするならばそれは思想改造運動としてあらわれるわけなのである。」(三八頁)
 水木論文は革マル派の機関誌『新世紀』二〇一三年三月号にそのまま掲載されているが、水木の整風運動に対する評価は黒田寛一の著書からのそのままの引き写しである。引用した黒田の一文からもその大衆蔑視が見て取れる。ここにもスターリン主義者の影としての小スターリン主義者の姿が映し出されている。    (二〇一三年二月三日)
 

 


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