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    かけはし2021年2月15日号

「戦車闘争」


映 評

(監督 辻豊史/ナレーション泉谷しげる)
SAGAMIHR,YOKOHAMA 1972−20XX

米軍相模原補給廠戦車阻止闘争

 一般市民が、体を張って阻止したベトナム戦争。それは、ベトナム戦争が終わった今でも続いている。

 映画「戦車闘争」(監督 辻豊史/ナレーション泉谷しげる)の舞台となったのは、1972年の神奈川県相模原市と横浜市。ベトナム戦争下の米軍相模原総合補給廠から破損修理した戦車を、村雨橋を渡って横浜ノースドックから輸送するのを、一般市民をはじめとする反対勢力が実力阻止した様子をオーラルヒストリーで描いたドキュメントだ。実際の闘争場面はほとんどスクリーンには出てこない。
その登場人物は、54人。闘争を指揮した社会党市会議員、べ平連をはじめとする市民活動家や戦車搬送を請け負った運送業者、銭湯の女将、絵本作家、はたまた機動隊員と幅広い。それぞれの視点から実名でこの「戦車闘争」とは何であったのかを今に伝えている。いわば「戦車闘争」の過去と現在、そして未来をみんながそれぞれの言葉でつないでいるのだ。


当時の社会党市議や活動家、新聞記者たちは、「戦車闘争」の意義や日米安保条約の規定範囲違反を語り、日本はベトナム戦争の最前線基地であり一体化していたと回想する。また、銭湯の女将や道路沿いにあるレストランの主人は、「夏なので皆な汗まみれで臭かった。他のお客様に嫌がられた」と回想し、運送会社の専務は、「日通も断った戦車の搬送を誰かがやらならなければなかった」と語った。そしてその搬送には4千人の機動隊が付いているからという理由で、危険手当はまったく付かなかったとも語った。さらに「戦車闘争」を鎮圧した2人の機動隊員のひとりは、酒を飲みながら武勇伝を語り、もうひとりは名前を伏せて後ろ姿で言葉少なに、インタビューに答えていた。


相模原補給廠は、もともと日本陸軍の相模陸軍造兵廠の敷地、施設を戦後米軍が接収して、設置された在日米陸軍の補給施設。ベトナム戦争下で、戦闘によって破損した戦車、装甲車など軍用車両をここに運び込み、修理し、再び前線に送る役目を担っていた。当時、その作業に当たっていたのは3500の日本人だったとされる。今では、米国、陸海空、海兵隊の装備、糧食、野戦病院を常時兼ねそろえた米軍第一級の兵站基地として存続を続けている。つまり、米軍が実行する軍事戦略の要、最前線基地だといってよい。


「戦車闘争」のきっかけとなったのは、72年8月5日。補給廠からトレーラー5台に積載されたM48戦車を米軍の積み出し港であるノースドックに続く村雨橋で、ベトナム戦争に反対する市民の座り込み行動によって阻止されたことに端を発する。七日の夜、トレーラーは補給廠に撤退。その後、補給廠正門に続く道路には、搬出を阻止する市民団体、政党、政治党派などによる監視活動のテント村が立ち並び、多いときには数千人も反対勢力が集まった。また、反対勢力を排除するために連日、警察機動隊が動員され、投石などの小競り合いが相次いだという。
戦車搬出阻止の法的根拠となったのは、道路交通法であり、村雨橋の重量制限だった。これらを盾にとり、のちに国会議員、社会党委員長となった飛鳥田一雄横浜市長や河津勝氏相模原市長が、その先頭に立った。ある資料によれば、飛鳥田市長の命により市職員も阻止闘争に動員され、機動隊ともみあったという。
しかし、9月12日に日本政府田中内閣により示された「補給廠の戦車修理部門の縮小」などによって相模原市、横浜市が通行を許可したことにより、一挙にテント村撤去や反対勢力の弾圧が始まり、18日夜半から装甲車の搬出が強行された。さらに10月17日「米軍、自衛隊の車両制限令撤廃」という閣議決定によりベトナムへの戦車、装甲車の修理、搬出は合法化されたのだ。100日闘争と呼ばれた「戦車闘争」は、強引な日米政府の策略と暴力によって終焉を迎えたわけである。しかし、敗れたとはいえ、この闘争を知ったベトナム人民は、歓呼したと伝えられ強固なアジア民衆の連帯が誕生した出来事だった。


この映画は、100日間にわたって繰り広げられた「戦車闘争」の事実を忘れかけた過去から現在に甦らせた秀作である。


余談になるが、1972年9月21日発行の第四インターナショナル日本支部の機関紙「世界革命」(現「かけはし」)には、ベトナム・インドシナ連帯委員会が、8月19未明、機動隊の弾圧と火炎瓶が飛び交う中、補給廠正門ゲートに高々とベトナムの解放戦線旗を打ち立てた様子が報道されている。連帯委員会は、学生インター系の大学自治会と朝鮮現代史研究会などの統一戦線としてつくられたもの。映画の中で、一瞬であるが槌鎌の赤ヘル同志が機動隊によって踏みつけられている様子が登場する。
また、前月8月にはM48戦車搬出阻止現地闘争と結合して、東京両国公会堂で千人の結集により、ベトナム革命勝利・ベトナム・インドシナ人民支援を掲げた「国際反戦集会」を開催。全国にその輪を広めた。
そんな統一戦線、共同行動を力に阻止闘争に取り組んでいる最中、中核派800人と革マル700人が正面ゲート前で内ゲバを繰り広げ120人が負傷したことを最後に付け加えておく。       (雨)

【訂正】かけはし前号2月8日号、8面投書の見出「「TERF」という呼称についてさ」、を「「TERF」という呼称について」、に訂正し、おわびします。同8面清掃労働者の闘いは労働者社会変革党「変革と政治」119号ではなく、120号に訂正します。



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