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2006年 日本共産青年同盟アピール        かけはし2006.0101号

憲法改悪阻止し、戦争も差別も搾取もない世界をめざそう!


パリ郊外の青
年たちの反乱

 二〇〇五年初冬、フランス、パリ郊外は貧困と差別にたいする怒りの炎に包まれた。警察の追跡から逃れようとして変電施設に逃げ込んだ青年が感電死したことがきっかけだった。普段から警察の高圧的な態度に不満を募らせていた青年たちを中心に自動車や公共施設が放火される事件が相次いだ。サルコジ内相の「(反乱する青年たちは)社会のクズだ」という発言が青年たちの怒りに油を注いだ。
 親やその上の世代が中東やアフリカからフランスに移住してきた青年たちは郊外の低所得者層向けの高層アパートに住みながら、名前や外見によって就職などで差別されてきた。フランス各地に拡大した怒りの炎は差別と貧困に対するやり場のない怒りの表れであった。先進国首脳会議(G8)の構成国フランス共和国の首都パリ郊外での反乱は、資本主義の矛盾が帝国主義本国においても存在することを世界に思い起こさせることになった。

破綻を露呈し
た新自由主義


 市場原理が何者にも優先するという新自由主義グローバリゼーションは、一九八〇年代に帝国主義本国で台頭したが、それが急速に拡大したのは、八〇年代末から九〇年代初めにかけて中国、ソ連、東欧などで発生した政治的危機とその結果としてのソ連、東欧の崩壊以降のことである。
 しかし歴史の勝者として君臨したかに見えた資本主義が勝利に酔いしれた時期はそう長くは続かなかった。絶えざる増殖をもとめる資本の論理は、市場飽和や利潤率の低下による全面的危機を回避するために、巨大な財政支出や低コスト国への資本の移転、規制緩和や民営化などを通じた公共サービス部門への市場拡大、世界銀行や国際通貨基金を通じた途上国市場の育成などを進めた。
 それは巨大な財政赤字、産業の空洞化と失業の拡大、公共サービスの切捨てと労働組合の解体、途上国の一層の従属化と社会システムと世界的な生態系と環境の破壊をともなった。
 それでも、資本主義はその脱出口を見出すことができていない。唯一の超大国として新しい戦争を主導したアメリカは十万以上のイラク民衆の屍の中で立ち往生している。アメリカへの対抗として新自由主義を機軸とした憲法を制定しようとしたEUの野望は民衆の抵抗によって中断を余儀なくされている。
 弱肉強食の新自由主義グローバリゼーションのルールを世界中に貫徹しようとする世界貿易機関(WTO)は、貧困にあえぐ途上国民衆の怒りと結合したオルターグローバリゼーション運動の点から面への拡大によって、多国籍企業と帝国主義のための機関であることが世界中に暴露され、交渉内容どころか存在意義にも疑問が投げかけられている。新自由主義の攻勢が強まれば強まるほど、その反動性があきらかにされている。支配の正統性は一貫して危機的状況にある。

ラディカルな
変革の展望を


 日本においても状況はおなじだ。世界第二位の経済規模にみあうだけの政治大国として登場しようとした日本は、国連常任理事国入りの策動や靖国参拝など政治大国としての立ち振る舞いが逆効果となって、アジア諸国の中で外交的空白を作り出している。
 ワシントン主導で進められる在日米軍の再編においても、基地を抱える自治体などから大きな反発が起きている。辺野古現地の身をていした抵抗と全国的な連帯運動によって、沖縄・辺野古沖の最新鋭海上基地建設は当初計画の見直しを迫られている。大企業のためのインフラ整備などに使われた財政支出のために国・地方の膨大な赤字はわれわれ青年世代の未来を奪う巨大な負担として処理されようとしている。
 国際的競争力をもった一握りの企業によって支配された労働市場では年収二百万程度の派遣社員、パート、アルバイトなどとよばれる千五百万の不安定雇用労働者が、産業予備軍としてではなく、直接利潤追求の帝国主義戦争に投入されている。支配階級は、あからさまな格差拡大社会における支配の正統性の揺らぎに対して、メディアを使った「勝ち組・負け組」というイデオロギー操作で青年の反乱を回避すること以外に術を知らない。
 だが、その支配の正統性の揺らぎに対して青年を結集させる対案を提起しようとする青年自身の社会的登場は始まったばかりだ。日本共産青年同盟はラジカルな対案を社会的な闘争の中でつくりだすために、戦争も差別も搾取もないもうひとつの世界、エコロジーとフェミニズムに学ぶ労働者民主主義に根ざしたもうひとつの世界をめざす世界中の青年と共同してつくりだしたいと考えている。
 二〇〇五年夏、郵政民営化法案を巡る攻防が国会内外で繰り広げられた。資本主義の存命をかけた新自由主義グローバリゼーションの要請に基づいたこの攻撃に対して正々堂々と正面からたたかうことができたのはごく一部の進歩的労働運動と社会運動団体だけであった。
 新旧の利権構造を背景とした支配階級内部の分裂を冷ややかに傍観することを拒否しつつ、その構造に巻き込まれることなく自立的な対抗運動を組織したこれらの潮流を含む日本の進歩的運動は、9・11総選挙によって誕生した新しい自民党が代弁する巨大多国籍資本による日本社会の新自由主義的改造に対して、最もラジカルで大衆的な変革の展望を掲げなければならないだろう。私たち日本共産青年同盟はその運動の一角をともに担いたいと思う。

未来を作り出
すたたかいへ

 二〇〇六年、とりわけ重要になる課題は、憲法の「新自由主義的企業のやりたい放題を防衛する国家主義」的な改悪に対抗する運動への取り組みだ。九条をはじめ、憲法が制限する国家権力と民衆の力関係や二四条や二五条に代表される諸権利は、日本人民の闘いの中でかちとられてきたものであり、世界的な階級闘争の影響を受けた日本の階級的力関係の表現であった。
 この力関係は二十世紀の八〇年代頃から資本の側に有利な状況に変化し、ソ連東欧の「労働者国家」群の崩壊によって決定的となった。イデオロギー的敗北のみならず、労働者階級内の階層化を促進し、その上層部の資本へのいっそうの従属化という状況を作り出した。9・11テロ以降のアメリカの軍事的展開と小泉フィーバーに後押しされ、帝国主義本来の姿である戦争のできる国家としてふさわしい憲法改定のための策動が加速した。イラクへ派遣された自衛隊の存在は侵略戦争を行うことのできる国家へ向けた改憲策動の中でいっそうの反動的意味をもつ。国会内ではすでに改憲勢力が圧倒的多数といわれ、自民、民主の改憲派政党による憲法改定案も登場した。次のねらいは憲法改悪の手続きとしての国民投票法案の通過である。
 しかしまた、戦後階級闘争の嵐が「民主憲法」をGHQと敗戦ブルジョアジーに強制した側面はあったが、一方でたしかに「日本人民の主体的な論議」によって、「民主憲法」が制定されたわけでもなかった。「憲法前文」そして「9条」の理想主義は、ついに日本民衆に主体化され根付かなかったことは、戦後の階級闘争の敗北と弱体化、そして今日の国家主義の突出状況に表現されている。
 『日本国憲法前文』は掲げている。
 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。
 そして、『憲法9条』の「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」の理念。この掲げられた理想主義はまさに今日的で「戦争と貧困の21世紀」的な課題であり、いまこそ民衆に主体化され真に実現させていかなければならないものだ。それこそが「戦争と貧困のない世界」をめざす私たちが、憲法改悪に反対する根拠である。
 憲法をめぐるたたかいは「理想主義か偏狭な現実主義か」あるいは「知性か反知性か」のたたかいである。このたたかいは偏狭な国家主義・排外主義に魅かれる青年たちを「グローバルな平和と人権・公正と民主主義」に獲得するものでなければ勝利することはできないだろう。
 すでに六十年前に掲げられた「全世界の地上から圧迫と偏狭、恐怖と欠乏、そして戦争を除去する」という理想を実現するたたかいをともにつくりだしていこう。日本共産青年同盟は二〇〇六年の憲法改悪に反対する闘争を駆け抜けるなかで、まだ見ぬ青年諸君とともに新しい左翼青年運動を作り出す決意である。
 二〇〇五年末には、釜山APEC首脳会議、香港WTO閣僚会議に対する巨大なたたかいが取り組まれた。日本共産青年同盟は、このアジアと世界のたたかいに積極的に参加し、発展を支え、新自由主義グローバリゼーションの拡大を阻止し、戦争も差別も搾取もないもうひとつの世界を掲げる左翼青年運動の新しい陣形をつくりたいと考える。未来を切り開くのは青年自身のたたかいである。日本共産青年同盟とともに二〇〇六年を駆けぬけよう。



コラム
「歴史のツケ」に時効はない

 日本の社会慣習の中に儒教が深く根をおろしていることは否定できない。
 中国で生まれた儒教は、忠、孝、仁、義などの徳目=実行すべきモラルをかかげている。なかでも仁は最高の徳目とされ、仁を失った支配者を人民が打ち倒すことは公式に認められている。そのようにして支配王朝を打ち倒すことを「天命を革(あらた)める」=「革命」と言った。
 だが、儒教は日本に入ってきた当初から改変され、日本語には「仁侠」や「仁義」というあやしげな言葉があるだけである。支配王朝が幾度となく入れ替わった中国とちがって、「万世一系」神話に支えられた天皇制と仁とは相容れなかった。そのため日本では、「革命」は、その言葉と概念においてさえ、マルクス主義が導入されるまで待たなければならなかった。
 こんなことを思ったのは、『菊と刀―日本文化の型』(ルース・ベネディクト)を読んだからだった。この本は、ワシントンの対日占領政策を策定するために研究され、一九四六年に出版された。この中では、文化人類学で言う文化の型の観点から、日本的儒教の解明にかなりの頁が割かれている。滑稽としか思えないような記述もあるが、日本の社会慣習を対象化するうえで興味深い記述も多く見られる。
 そのうえで、次のように記している。「天皇が口を開いた、そして戦争は終わった。……われわれの部隊は飛行場に着陸し、丁重に迎えられた」。言うまでもなく、戦争終結に際して、戦争継続のためであれ戦争責任追及のためであれ、反乱らしいものがなかったこと、その点で天皇制を遺した政策判断が正しかったことを誇る記述である。
 こうしたことは「日本人の特性」とされている。「西欧人には、日本人が精神的苦痛をともなうことなく、一つの行動から他の行動へ転換しうるということが、なかなか信じられない」「日本人はある行動が失敗に終われば、それを敗れた主張として棄て去る」と述べ、日本人を「極端に機会主義的な倫理をもつ国民」と断じている。
 実際、敗戦後の多くの日本人に共通していたのは「とにかく戦争は終わった。過去のことは忘れて前向きに生きていこう」という意識だったと思われる。そこでは、旧日本帝国主義を打倒した主力が中国人民の抗日武装闘争をはじめとするアジア人民であったことは、ことさらに無視された。機会主義的な「終戦」という言葉は定着し、「歴史のツケ」は返さないままになった。そして、アジア人民への侵略に対する反省と、それにもとづく連帯の再構築までは謳っていないという意味で、消極的に戦争への反省を表した憲法九条だけが残された。
 めぐりめぐって今、この憲法九条さえ葬り去ろうとする動きが強まっている。「歴史のツケ」を最終的に踏み倒してしまおうという、仁も義もない策動というほかはない。「歴史のツケ」は、新自由主義の嵐の中でともに呻吟するアジア人民との連帯を再構築するなかから返していかなければならない。九条改憲阻止は、その重要な一環となる。
 それにしても、郵政民営化法案に反対しながらも首班指名で小泉に投票した前自民党議員は、「われわれの主張は敗北したのだから」と、その行動を正当化していた。「敗れた主張を棄て去る機会主義的な国民」という指摘をそのまま証明しているかのようで、うすら寒くなってくる。(岩)


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